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別名:
旧社格: 無格社
創建: 1573
本務社: 当社
富士神社はもと、旧本郷村にあった。天正元年(一五七三)本郷村名主木村万右衛門、同牛久保隼人の二人が、夢に木花咲耶姫の姿を見て、翌年駿河の富士浅間社を勧請した
寛永六年(一六二九)加賀藩前田侯が上屋敷(現東京大学構内)を賜わるにあたり、その地にあった浅間社はこの地に移転した。東京大学構内一帯は住居表示改正まで本富士町といっていた。
社伝によれば、延文年間(一三五六〜六一)には既に現在の社地は富士塚と呼び、大きな塚があったといわれる。この塚は一説によると、前方後円の古墳といわれる。
富士神社の祭神は、木花咲耶姫命で、氏子を持たず富士講組織で成り立っていた。
山嶽信仰として近世中期頃から江戸市民の間に、富士講が多く発生した。旧五月末になると富士講の仲間の人々は、六月朔日の富士登拝の祈祷をするために当番の家に集まり、祭を行った。そして、富士の山開きには、講の代参人を送り、他の人は江戸の富士に詣でた。富士講の流行と共に、江戸には模型の「お富士さん」が多数出来た。文京区内では、「駒込のお富士さん」といわれるここと、護国寺の「音羽の富士」白山神社の「白山の富士」があった。
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