2016年7月14日木曜日


吽形

阿行

稲荷社

豊川出世稲荷者

鳥居


データ

別名:
旧社格:村社
創建:
本務社: 当社


由緒

本社は江戸時代初期以来、当地の鎮守であった。かつて元鳥越町にあったが(現在の鳥越二丁目あたり)、正保二年(一六四五)当地に浅草新鳥越町が成立したことにともない移転して、当地の鎮守となった。新鳥越町は山谷堀の北側、千住街道(現在の吉野通り)に沿った町である(後の浅草吉野町)。
本社は町の北端に位置していたが(現在の清川一丁目七番・八番付近)、関東大震災後の区画整理のため、昭和二年(一九二七)十一月、現在地に移転した。
本社が所蔵する大太刀「陰陽丸」は、全長三六八・五センチの長大なものである。弘化四年(一八四七)、江戸小石川に住居する刀工、川井久幸が制作し、熱田神社に奉納した。宝刀として保存されるだけでなく、安政五年(一八五八)コレラ流行の時には、疫病を祓うため、本大太刀が町内を巡行している。当時江戸の町々では、鎮守の神輿や獅子頭が町内を巡行するなど、それぞれに疫病除行事をおこなっていた。当地では、鎮守の宝刀「陰陽丸」が疫病除けに最もふさわしかったのであろう。古老は「オンヨウマル」と発音していたという。


御祭神



御朱印



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場所: 東京都台東区今戸2-13-6


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