2016年7月10日日曜日


高来神社奥宮

高来神社奥宮境内社

平嘉久社

神輿

境内社

神明宮

竜神宮

力石

豊受姫大神の祠

杉本稲荷大明神

鳥居

鳥居


データ

別名:
旧社格: 郷社
創建:
本務社: 当社


由緒

初祭の二神は神武天皇の朝に創祀せりと伝えられる。又後祀の二神は仲哀天皇の朝に三韓御征討の際御船を幽護して彼地に渡らせ神威を現表して皇軍を冥助なさった。斯くて韓地降伏の後、安閑天皇の御宇二年卯五月東夷鎮撫の為祭祀し奉れる由、以来称徳天皇の神護景雲元年(七六七)正月には御幣物奉納あり。その後、源頼朝及び北条・徳川の三氏も信仰厚くして天文十年(一五四一)発卯十月十八日付小田原北条の検地書に十一町三反半二十歩比分銭六十七貫七百七十七文云々とある。又徳川氏より天正十九年(一五九一)辛卯十一月依先規例田畑百石の朱印地外に込高田畑二十六石余山林四十六町三反四畝十七歩の土地を寄附せられる。明治四年土地上納の令に拠り土地版籍と共に奉還する。又王仁此の地より霊亀二年(七一六)元正天皇の御代一七九九名を率いて武蔵の国に渡らせ給うより高麗郷と定む(続日本紀)埼玉県高麗神社祭神は王仁である。明治二十七年三月一日、常宮昌子内親王殿下。周宮房子内親王殿下、当社前に赤松各一本ずつ御手植在らせらる。明治三十三年二月二十四日、前西殿下御参拝あらせらる。明治三十四年九月二十八日、皇太子嘉仁親王殿下成遊ばさる。大正十一年七月十六日、東久邇宮允子内親王殿下幣帛料を御供進在らせらる。大正十二年三月二十一日、東久邇宮若宮殿下御参拝在らせらる。明治三十年三月十五日、高麗神社を高来神社と復旧許可せらる。明治四十五年四月三十日、神饌幣帛を供進すべき神社と指定せらる。


御祭神



御朱印



関連リンク

Wikipedia


場所: 神奈川県大磯町高麗4-9-47


大きな地図で見る

0 コメント: