2016年2月12日金曜日


吽形

阿行

稲荷神社

鳥居

鳥居


データ

別名:
旧社格:村社
創建: 1249〜1256
本務社: 雪ヶ谷八幡神社


由緒

田園調布八幡神社の創建は鎌倉時代の建長年間と伝えられる。この時代、鎌倉幕府は執権の北条氏が実権を握り、国内基盤固めを行っていた。各地では武士達はもとより村人達も幕府に忠誠を示す意味もあり、源氏の氏神を祀る八幡信仰が盛んで、多くの八幡神社が建てられた。
当時、この村の西側、現在の雙葉学園南側の盆地は篭谷戸と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔々と打ち寄せる自然の良港であり、物資を積んだ舟が盛んに出入りしていた。また、この村の高台部分には東より西へ貫いて鎌倉街道が通り、篭谷戸の港に接続していた。港を中心としてこの一帯には多くの鎌倉武士が駐屯し、鎌倉街道の要衝の地となっていた。そして、この八幡神社の地は港の入口に突き出した台地で、舟の出入りを監視できる重要な場所であった。鎌倉武士はその重要な場所に祠を建て、八幡神社を勧請した。以来、この八幡神社の地は聖地となり、人々に崇められてきた。天正十八年(西暦一五九〇)小田原北条氏滅亡後、八王子城主、北条氏照の旧臣、落合某がこの村に庵を結び、主家の冥福を祈った。そして、寛永年間(西暦一六二四〜一六四四)、落合某の孫、落合弥左衛門らによりこの聖地に新たな社殿が創建され、ご神体が祀られた。
江戸時代、この神社は武蔵国荏原郡世田ヶ谷領上沼部村に属し、明治中期の四村合併まで村社であった。寛政四年(西暦一七九二)には、この村の知行主となった神谷縫之助も氏神とするなど、今日まで常にこの地域の人々の心の拠り所として崇敬されて来たのである。


御祭神



御朱印



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場所: 東京都大田区田園調布5-30-16


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