![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiGg2tLYS0b0LgdWtVEli1qqGxwGGGCd8z4VAeT-_pBEBkVGpMGKSj5PCr8kUHHMCL1T2X9WYHM9jB7PMohHWWHrypgO1BQwyK7swbe3f7xgSycX1vQ1R_QdrdNR6FmXqlQoZYkH-skFrF9/s320/DSC01259.jpg)
別名:
旧社格:
創建:
本務社: 八幡大神
明治四十五年四月一日(一九一二)付けで東京府(都)と神奈川県の境が多摩川によって区切られたため、多摩川のこちら側にあった下沼部は、荏原郡下沼部より分村することになりました。分村して神奈川県橘樹郡御幸村下沼部となりました。
当時の氏神様は、浅間神社(今の大田区亀甲山々上)でしたが、分村することになったため氏神様も分社する事になりました。
これより先、東京側下沼部に鎮座する赤城神社が明治四十二年七月一日に浅間神社に合祀されたため空社殿を譲り受けることになりました。
社殿の引渡しは、明治四十五年七月中旬に行なわれたそうです。渡し船二隻を清めて、川を下り接岸、向河原十五軒の氏子に引渡したとのことです。
社殿に向って右側に赤城神社の社殿であるため「磐筒男命」中央には、昔から氏神様である浅間神社の「木花咲耶姫命」左側には昔から村にあった稲荷堂の「宇加之霊」を合祀して「三社宮」と命名しました。
昭和十一年七月、日本電気株式会社が下沼部地区の現在地に玉川工場を設立し、村は急速に発展してきました。それに伴って、道路を拡張(現在の駅前通り)することになり、それまでの下沼部一九一五番地から、現在の社殿は昭和十三年五月に移築しました。
大きな地図で見る
0 コメント:
コメントを投稿