2015年9月30日水曜日


吽形

阿行

鳥居

社号標

境内社

境内社

境内社


データ

別名:
旧社格:
創建:1189年
本務社:当社


由緒

この八幡神社は、田端村の鎮守として崇拝された神社で、品陀和気命(応神天皇)を祭神としています。神社の伝来によれば、文治五年(一一八九)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されたものとされています。別当寺は東覚寺でした。
現在東覚寺の不動堂の前にたっている一対の仁王像(赤紙仁王)は、明治元年(一八六七)の神仏分離令の発令によって現在地へ移されるまでは、この神社の参道入口に立っていました。江戸時代には門が閉ざされていて、参詣者が本殿前まで進んで参拝することはできなかったらしく、仁王像のところから参拝するのが通例だったようです。
参道の中程、一の鳥居の手前には石橋が埋められています。これは昭和初期の改修工事によって暗渠となった谷田川に架かっていたもので、記念保存のためにここに移されました。社殿は何度も火災等に遭い、焼失と再建を繰り返しましたが、平成四年(一九九二)に氏子たちの協力のもとで再建され、翌年五月に遷座祭が行われて現在の形になりました。境内には、稲荷社のほかに田端冨士三峯講が奉祀する冨士浅間社と三峯社があり、冨士浅間社では毎年二月二十日に「冨士講の初拝み」として祭事が行われています。


御祭神



御朱印



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場所: 東京都北区田端2-7-2


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