2015年9月21日月曜日


吽形

阿行

鳥居

社号標

厳島神社

豊受ノ宮

恵比須ノ宮

山王社

豊受稲荷神社

伊勢ノ宮

稲荷神社

石楯尾神社

石ノ神社


データ

別名:烏森神明宮
旧社格:村社
創建:832年
本務社:当社


由緒

第五十三代淳和天皇の御代天長九年(八三二年)創建
天喜三年(一〇五五年)、元亨二年(一三二二年)、天正十三年(一五八五年)、昭和六十年(一九八五年)と御造営を重ねられている。
第六十代醍醐天皇の御代、延喜式が選進された頃に、奈良時代以来称えられていた相模國土甘郷(とかみごう)総社に列せられた。又、長治元年(一一〇四年)に到って鎌倉権五郎景政が所領の大庭荘(おおばのしょう)を伊勢神宮に御厨(みくりや)として寄進したので、大庭荘が大庭御厨と呼ばれるようになり、相模國土甘郷はもとより東は境川から西は小出川に挟まれた広大な地域の伊勢神領大庭御厨総鎮守として尊崇を集めることとなった。
これより先、天喜年間、八幡太郎義家、奥州鎮撫の途次祈願奉幣あり。又、寿永三年(一一八四年)那須与一宗高は源平屋島の合戦の戦勝を祈願し、屋島にて扇の的を射た弓一張と残りの矢を東帰の際奉納、併せて所領の那須野百石の朱印地を神恩報謝の為に寄進したと伝えられている。
昭和二年(一七六五年)六月十七日、領主布施孫兵衛尉頼路参籠し、祈願奉幣あり。又「天照皇大神宮」と謹書した白絹御戸張を奉納、太々神楽を奉奏し、例年奉幣を明治維新まで続けられた。明治元年九月、征東大総督一品中務卿有栖川宮殿下御東下の際参拝し、「神明宮」の御染筆を賜わる。
例祭日には人形山車九基の参進があり、神奈川の民俗芸能として県の指定があり、又、例祭は「神奈川のおまつり五十選」に選定されている。人形山車は、昭和六十三年藤沢市重要有形民俗文化財に、又、例祭日に奉奏される「湯華神楽(湯立神楽)」は平成八年に藤沢市重要無形文化財に指定された。


御祭神



御朱印



関連リンク




場所: 神奈川県藤沢市鵠沼神明2-11-5


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