2014年7月13日日曜日


社号標

鳥居

鳥居

手水舎

吽形

阿行

春日明神・八幡大神

石焼落とし


データ

別名:高石神明社
旧社格:
創建:1654年
本務社:登戸稲荷社


由緒

天照大神を主神として祀る。往時は「伊勢宮」と称し、当社あるを以て境内一帯を「お伊勢の森」と呼ぶ。大正11年、高石地区内に分散鎮座せる熊野社、御嶽社、春日社、富士浅間社、八幡社などを合祀遷宮し、更に稲荷、第六天の二小祠を左右に相殿とする。  社殿は二間半に三間の宮作りの覆屋であったものを大正11年、合祀遷宮に当り増改築し現在の拝殿、幣殿、神饌所、奥殿となり、それまで東向きであったものを南向きとする。  その後本殿は昭和50年に改築。社務所は昭和55年、神楽殿を併設し改築す。  社殿創建は承応三年甲午二月二十一日。加賀美金右ヱ門、とご神体の裏に記しあり、御光明天皇御在位、徳川幕府第四代将軍家綱時代にて今より凡そ三百二十六年前に当る。因に地頭金右ヱ門が父加賀美才兵ヱ正光は甲州武田の一族にして天正十年、勝頼天目山の戦いに敗れて滅亡の後、当地に来り字「本村」に居を構えしが、同十六年、十六才の時東照宮に召出され、同十九年に至り高石地区内に一〇七石八斗余りの高を知行すべき由ご朱印を賜わり、猶「本村」に居住せしが、子金右ヱ門正吉の時、江戸に宅地を賜わる。  尚、当地にある高石山法雲寺は加賀美才兵ヱ正光の開基にて、萬松山潮音寺は加賀美金右ヱ門正吉の中興開基せるものなり。


御祭神



御朱印

集印未

関連リンク




場所: 神奈川県川崎市麻生区高石1丁目31-1


大きな地図で見る

0 コメント: