2016年8月28日日曜日


吽形

阿行

雷電社

結明神社

足立権現社

祖霊社

鳥居

鳥居


データ

別名:
旧社格:国幣小社
創建:
本務社: 当社


由緒

当社は古来伊豆大権現、走湯大権現、又は伊豆御宮、走湯山とも呼ばれていましたが、明治の神仏分離令により現在の社名に改称されました。
又、伊豆の地名の発祥地は当社であります。
社伝によると当社は最初、日金山(万葉集にいう伊豆の高嶺)に鎮まり、次いで本宮山に移り、さらに三遷して現在の地に御鎮座になりました。
源頼朝は平治の乱の後、平家の手により伊豆の蛭ヶ小島に配流の身となっていたが、源家再興のことを当社に祈願し、後に鎌倉に幕府を開くに及んで、篤く当社を崇敬し、幕府最高の崇敬社として関八州総鎮護とされ、社領四里四方、海上見渡す限りの外に、鎌倉、室町期を通して武州、相州、上州、豆州、駿州、越州に二十三カ所 の社領を所有していたことが室町時代の文書「寺領知行地注文」に記され、その所領範囲の広大であったことが当社の最隆昌期における状況を示しております。
鎌倉、室町の時代を経て徳川家康は江戸に幕府を開くに先立ち二百石を寄進し、次いで慶長になって百石と、併せて三百石の朱印料を寄進して崇敬の誠を示しており、歴代の将軍もこれに習い、当社を崇敬いたしておりました。
又、天皇家にあっては、第十六代仁徳天皇が勅願所となされてより、二十二代清寧、三十代敏達、三十三代推古、三十六代考徳、百五代後奈良と六朝の天皇の勅願所となり、殊に、 後奈良天皇は御宸筆の般若心経一巻(国指定重要文化財)を御奉納になられ国土安穏と万民の和楽を御祈願なされております。大正三年一月十三日、皇太子であられた昭和天皇 御参拝の折親しく、若松一株をお手植え賜り、現在緑の葉も繁く栄えております。また、昭和五十五年九月十二日には皇太子浩宮徳仁親王殿下の御参拝をいただいております。
なお、当社は明治以前においては神仏習合が盛んに行われた社で、役小角をはじめ弘法大師、多くの山岳仏教徒や修験者が入峰して修行を積んだ霊場で後白河法皇の御撰による梁塵秘抄に「四方の霊験所は、伊豆の走湯(伊豆山神社を指す)信濃の戸隠、駿河の富士山、伯耆の大山」と著され、東国東海における第一の霊場として聞こえていたことがしられます。


御祭神



御朱印



関連リンク

公式HP


場所: 静岡県熱海市伊豆山708-1


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