2016年5月8日日曜日


吽形

阿行

杉多稲荷神社

社号標

鳥居

鳥居


データ

別名:
旧社格: 村社
創建: 1692
本務社: 初音森神社


由緒

当社は神奈川県藤沢市江島神社の弁財天を奉斎し、またその弁財天を深く信仰した杉山和一を併せ祀る。
杉山和一(慶長十五<一六一〇>年〜元禄七<一六九四>年)は三重県津市の武家の生まれで幼い頃失明し、身を立てるために鍼術を志す。江戸の山瀬琢一に入門し修行に励む中、江の島弁財天の岩屋にて七日七夜の参籠をした。
業が明けた日外に出ると大きな石に躓いてしまうが何か手に刺さる物があり探ってみると、筒の様にくるまった枯葉(スダジイ)の中に一本の松葉が入っていた。
「いくら細い鍼でも管に入れて使えば盲人の私にも容易く打つ事が出来る」
こうして、現在鍼治療の主流である管鍼術が生まれた。躓いた石は「福石」として、本社江島神社の境内に祀られている。この後より深く鍼治を学ぶため京都の入江豊明の元へ入門する。そして江戸で治療所を開くと、その噂は瞬く間に広がった。同時に多くの弟子を排出し、世界初の盲人教育の場、職業の確立を進めた。寛文十(一六七〇)年一月 和一は六一歳にして検校の位を受けた。その名声により五代将軍徳川綱吉の医師として務めるようになる。
元禄五(一六九二)年五月九日将軍より総検校に任ぜられる。和一が八三歳の時、綱吉公の難病を治療した功により「何か望みの物はないか」との問いに「唯一つ、目が欲しゅうございます」と答え、ここ本所一ツ目に総録屋敷の領地を賜り更に和一が高齢になっても月参りを欠かさなかった江ノ島弁財天が敷地内に勧請された。翌年には壮麗な社殿が建立、本所一ツ目弁天社と呼ばれ江戸名所となり、多くの信仰を集めた。元禄七(一六九四)年五月十八日八四歳没。綱吉公が古跡並の扱いとしたため残され、社名も江島神社となる。明治二三年四月杉山和一霊牌所即明庵も再興し、境内に杉山神社を創祀。震災、戦災により二つの社殿とも焼失するが戦後昭和二七年合祀し、江島杉山神社となる。


御祭神



御朱印



関連リンク

公式HP


場所: 東京都墨田区千歳1-8-2


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