2014年11月3日月曜日


吽形

阿行

鳥居

社号標

魚河岸水神社

小舟町八雲神社

大伝馬町八雲神社

江戸神社

浦安稲荷

金刀比羅神社・三宿稲荷神社

末廣稲荷神社

合祀殿(籠祖神社・八幡神社・富士神社・天神社・大鳥神社・天祖神社・諏方神社)

祖霊社

銭形平次碑

えびす様尊像

だいこく様尊像

神馬「明(あかり)」

随神門


データ

別名: 神田明神
旧社格:府社
創建:730年
本務社: 当社


由緒

社伝によると天平二年(七三〇)、武蔵国豊島郡芝崎村(現・千代田区大手町)に創建されました。延慶二年(一三〇九)、東国の英雄で庶民たちに仰がれた平将門公が合祀され、太田道灌・北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長五年の関が原の戦いで、当社では徳川家康公の戦勝祈願をし御守りを授与したところ見事に勝利を得ました。これ以降、家康公の合戦勝利に因み縁起の御守り「勝守(かちまもり)」を授与するようになり、現在でも多くの参拝者に授与しております。江戸幕府が開かれると幕府の深く尊崇するところとなり、元和二年(一六一六)に江戸城の表鬼門にあたる現在の地に遷座し幕府により社殿が造影されました。江戸時代を通じて江戸総鎮守として歴代の将軍はもとより江戸の庶民たちにも崇敬されました。
明治時代に入り東京・皇城の守護神として准勅祭社・東京府社に定められ、明治七年(一八七四)に明治天皇が親しく御参拝になりました。大正時代、関東大震災による社殿焼失後、昭和九年に氏子崇敬者の浄財により画期的な権現造の鉄骨鉄筋コンクリート・総漆塗の社殿が造営されました。
昭和二十年、東京大空襲が神田・日本橋界隈を直撃しましたが、社殿はわずかな損傷のみで戦災を耐えぬき戦災で苦しむ人々に勇気と希望を与えました。


御祭神



御朱印



関連リンク




場所: 東京都千代田区外神田2丁目16−2


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