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別名:
旧社格:
創建:平安時代末期
本務社:当社
徑津主大神は天孫降臨に先だち、天照大神の勅を奉じ武甕槌神(鹿島の神)と共に出雲に降り、大国主命と御交渉の結果築かれた武勇に優れた神様で國運開発・民業指導・海上守護・縁結び安産の神様更には、武徳の祖神として廣く仰がれております。
當神社は、永萬元年(一一六五年)の葛西御厨の文書、應永五年(一三九八年)の葛西御厨注文等に鎮守村名が見られ、平安時代の末期、當地開拓のために千葉県香取郡から六軒の人々が移住し小村井の氏神様として鎮守しました。大正五年頃まで老樹鬱蒼と繁茂し圓形の森林となし、鳥類はもとより狸の類も巣を作り、隣地には小村井梅園が存して明治四十三年頃までは四季の遊びの場所となりました。
現在の御社殿は、昭和二十九年の建立で、本殿は流れ造り拝殿は入母屋流れ造りの総桧造りです。
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