2016年1月31日日曜日


吽形

阿行

疫神社

伊邪那岐社

境内社

道祖神

弁天社

鳥居


データ

別名:
旧社格: 村社
創建:
本務社:六所神社


由緒

古代、人々が漁業を中心として生活し始めた頃(一〇〇〇年以上前)といわれていますが文献などもなく定かではありません。古文書には平安時代(七二四年〜)に「薬師三島明神の本地仏なり 長・一尺五寸・弘法のの作と伝」と記されていることから、その頃すでに多くの人々の信仰を集めていたと思われます。
また、戦国時代の永禄九年(一五六六年)には、小田原城主の北条氏より手厚い保護を受け、魚類・船運業・商業の要所として急速に発展しました。江戸時代半ばには「須賀千軒」といわれるほどに人家が増え、相模国の海運、海路の玄関口として大変な振る舞いを見せました。
また、伊豆・房総の人々を始め、海路での大山詣には須賀港に着くと必ず当神社に参拝し、道中の守護と無事を祈願することが慣わしでありました。


御祭神



御朱印



関連リンク

公式HP


場所: 神奈川県平塚市夕陽ケ丘60-27


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