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別名:
旧社格:村社
創建:
本務社:八幡神社
曽比稲荷神社は、惣社稲荷略記(大井町真福寺蔵)によると、八幡太郎源義家が、曽比村に草創した真福寺が変じたもののようです。(新編相模風土記稿真福寺記)
今から約九百年前の康和年間、鎮守府将軍源義家公が、東征の途中、当時の寺主覚超僧都と軍中無事の祈祷をし、日夜仰願したところ、白狐が現われて軍陣の魁をひらき、至る所で戦功をあげました。義家公は、その威徳に感謝し、祭祀と田園を与えられました。その後、村の鎮守の神としても霊妙や神徳が発現され、その威力が四方に聞こえるようになりました。公は、菅家に神の賞位を奏上し、「惣社正一位稲荷大明神」の称を賜わりました。文政十年(一八二七年)、上郡西大井村真福寺の寺主、金剛乗沙門傳持阿遮梨耶実辨が、後代の照鑑として、以上のことを記録しています。今でも、この神社に参拝する人は多く、中には、祈願により不治の病が癒えたと、神威に感謝されている人もいます。
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