2015年11月9日月曜日


大神神社

子之大神・杵築宮

鳥居

鳥居

鳥居

社号標


データ

別名:
旧社格:県社
創建:
本務社:当社


由緒

「関東のお伊勢さま」と親しまれる当宮は、明治初年に国費を以て創建された神社であり神奈川県の宗社、横浜の総鎮守とされています。境内は三千九百余坪、御社殿は神明檜造で、太古の堀立造の面影を残し、屋根の千木(角のような形)と鰹木が特徴です。神明奉仕は地面に起立したままの形で行う立礼と称する作法と定められています。かつては、久良岐郡戸部村の丘陵に鎮座されていましたが、神社名、創建年代共に不明です。明治維新以降後、神仏分離、国家神道の時代を迎え、当地横浜が国の貿易の要として開港されるに及び、人々の心を人つにし、外国との国柄の違いを胸に刻み、国家の鎮護を祈ることを目的に、明治三年四月十四日、時の神奈川県副知事井関盛良氏が太政官に対し建白書を送り、「伊勢山に皇祖の御社を勧請あれば、高麗の宮殿を創立し、国家の鎮護を祈り、人民をして、崇敬胆仰せしめん」との布告を戴き、社殿を始め、境内の整備が開始されました。翌年四月十五日、社殿並びに境内施設が竣工し、正遷宮が執り行われ、横浜の町を挙げての初めてのお祭りは壮大華美を極めた様子でした。また、この時、地名も野毛山から伊勢山へと変えられました。明治五年の太陽暦採用に伴い例祭日は五月十五日と改められ、戦前の御祭礼には市内官公庁を始め、会社、工場、学校に至るまで休日となり、まさに市民を挙げてお祝い申し上げたとの事です。当初の氏子総代は大谷嘉兵衛・幸兵衛、茂木惣兵衛、箕田長二郎、近藤良薫氏など、日本の経済・政界に君臨された横浜の重鎮たる人々で、以後も横浜の名士の方々が総代に就任されています。創建当時の社殿は関東大震災の災禍を蒙りことごとく倒壊し、現在の社殿は昭和三年に復旧建造されたものです。表参道の二の鳥居は、昭和四十五年に御鎮座百年を記念して横浜金沢の相川文五郎氏より寄贈されたもので総檜造、一の鳥居は昭和五十五年に御鎮座百拾年を記念して建て替えられました。


御祭神



御朱印



関連リンク




場所: 神奈川県横浜市西区宮崎町64


大きな地図で見る

0 コメント: