2015年11月5日木曜日


吽形

阿行

鳥居

境内社


データ

別名:
旧社格:村社
創建:
本務社: 白山神社


由緒

明治中頃の資料を見ると「三崎海南神社の分霊なり、元亀(一五七〇〜一五七二)以前、村民は毎月三日三崎海南神社に詣りを例とす。然るに烈風暴風に際し、渡航甚だ難しい故に、分霊を勧請して村社と定むと云う。」と書かれており、三崎の海南神社を分霊したことが分かります。(祭神は藤原資盈公、相殿に右大将源頼朝公と楫三郎公)
遊ヶ崎海岸(宮ヶ崎)に鎮座されていましたが、暴風で破損され明治十一年、三崎を望む現在地に遷したと言われています。
明治の中頃まで、海南神社の祭礼は七月十八日に行われ、船祭りの形をとり、花暮が年番のときには、城ヶ島からも御座船を出し、御船唄を唄いながら、神輿の海上渡御が行われていました。この御船唄は、保存会によって今も唄い継がれ、祭礼などで披露されています。
現在は、毎年七月十七日が例祭日で神事・御神楽の奉納を行っていますが、神輿渡御は五年に一度七月十七日、十八日に行っています。


御祭神



御朱印



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場所: 神奈川県三浦市三崎町城ケ島408


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