別名:
旧社格:
創建:
本務社: 当社
創建の年代を詳にしないが徳川家康が関東鎮護、国土泰平の祈祷所としてしばしば参詣した社伝がある。神明社の初期の御社殿は元亀の頃の創建という。二化秀忠の時、王禅寺村は御台所の御化粧料の領地となり、領主の所禱所として、年々伊勢踊り神事(神楽舞)祭礼等盛大にとり行なわれていた。御台所が他界の後芝増上寺に寄進され、御仏殿料の地となって、寛永十一年以降田畑納米百九拾弐俵と定め、凶林竹木守護、その他諸役を免除された。文化元年芝増上寺御霊屋料二十五ケ村名主取締役をも兼ねていた神主、志村文之焏は、十六歳の時より讃州、琴平宮の信心が厚く、十八度参詣の後、ようやく素志を貫ぬき、本宮の分霊を始めて関東に迎え、神明社の相殿に奉斎し、現在の社殿及工作物を寄進造営した。以後、金刀比羅大神の御神徳を通して、天照皇大神に帰一するの信仰により、近郷近在はもとより、武蔵国(東京・神奈川・埼玉の一部)一帯に崇敬者を有するようになった。現在の御本殿、拝殿ともに文化元年の建築そのままである。
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