2015年11月15日日曜日


吽形

阿行

稲荷社

稲荷神社・大鷲神社

神使

神使

鳥居

社号標


データ

別名:
旧社格: 村社
創建: 809
本務社: 当社


由緒

社の言伝えによると第五十代桓武天皇の御嫡子貞恒親王の次男恵恒僧都は不思議な子細があって山中に入られ近江の国坂本一本松のあたりに住まわれた。この人が山本平内左衛門尉恒重である。
弟の次郎左衛門尉恒明と共に能〱社に仕え山王権現(日吉大社西本宮)の御分霊を奉して美濃国赤坂へ来たが更に尾張の国熱田神宮に一年間合わせ祀られその後次第に関東に下られ武蔵の国稲毛庄河崎村守山にお宮をつくりお祀りしたが、神意にかなわず四方八方へ光を放った庄内の道俗一同が驚いて馳せ集り直ちに丸子にお送りしてお宮をつくりお祀りしたのが現在の日枝神社である。
時に大同四年(西暦八〇九年)六月十四日であった。御鎮座以来御供田として上丸子下丸子今井村は、当社権現の社領と定められた。その後治承二年(西暦一一七八年)五月上旬、小松内大臣平重盛公は武里蔵人大夫という侍を関東につかわして山王権現の社殿を再建され九寸五分の御劔を奉納された。
徳川三代将軍家光の寛永十九年(西暦一六四二年)八月十七日より徳川幕府末期までは御朱印弐拾石を賜った。明治二年(西暦一八六九年)七月四日山王権現を日枝神社と改称した。f


御祭神



御朱印



関連リンク

公式HP


場所: 神奈川県川崎市中原区上丸子山王町1-1555


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