2014年4月22日火曜日


吽形

阿形

鳥居

有鹿天神社


データ

別名:
旧社格:郷社
創建:不明だがかなり古い。由緒参照
本務社:当社


由緒

有鹿神社(あるかじんじゃ)お有鹿様は、相模国で最古の歴史と高い社格を有する。
創成
遥か遠い昔、相模大地は、海底の隆起により出現する。有鹿谷の泉を水源とし、これより流れ落ちる鳩川(有鹿河)の流域に人々は居住し、有鹿郷という楽園が形成された。縄文の頃より、有鹿の泉は水神信仰されてきたが、弥生の頃になり、農耕の発展に伴い、人々は、農耕の安全と豊穣を祈り、水引祭を起し、有鹿大明神と称え、有鹿神社をご創建した。有鹿谷の奥宮、鳩川中流の座間の中宮、相模川に合流する地の本宮である。
発展
奈良平安の頃、相模国府は有鹿郷に所在し、有鹿神社は、国司の崇敬を受け、相模国の延喜式内社中随一の社格を有した。天智天皇三年(六六四)、初めて祭礼を行い、天平勝宝六年(七五四)八年(七五六)、藤原廣政の社殿の修理と墾田五百町歩の寄進を受け、貞観十一年(八六九)、従五位上に昇階し、永徳元年(一三八一)、正一位の極位となる。広大な境内に美麗な社殿が建ち、条里制の海老名耕地を領有し、また、明神大縄(参道)は、社人の住む社家を経て寒川に至り、一大縄は、相模国分寺に至る。
変動
やがて、国府も移転し、有鹿郷から海老名郷に地名も変わり、有鹿神社は、豪族の海老名氏の崇敬を受けるに至った。その後、室町の二度の大乱を蒙り、海老名氏は滅亡し、美麗な社殿と広大な境内や社領も喪失した。
その結果、鳩川中流に鎮座した中宮も現在地に遷座し、有鹿姫の伝説(座間では、鈴鹿明神の創建の伝説となる)として残る。有鹿神社は、農耕を礎とした産業の発展を背景とし、水引際の斎行により、海老名耕地の用水を守り、相模国五宮として人々の崇敬を集めた。
現代
明治維新となり、県社に列せられたが、郷社に留まり、神饌幣帛料供進社となった。第二次大戦後、宗教法人有鹿神社として神社本庁に属する。有鹿神社は、水引祭を通し、端々しい活力を与え、人々の生活の安全と繁栄を見守り続ける。神奈川のへそ子育厄除大社として、海老名総鎮守、また、神奈川県の聖地である。


御祭神



御朱印



中宮

場所:神奈川県海老名市上郷1-12-18




奥宮

場所:神奈川県相模原市南区磯部




関連リンク




場所: 神奈川県海老名市上郷1丁目4-41


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