2014年4月21日月曜日


鳥居

社号標

荒神社

弁財天

稲荷社


データ

別名:
旧社格:村社
創建:平安末期
本務社:当社


由緒

社伝によると平安末期の創立で、もと飯綱社といわれ、今の境内後方の山上にあった。その後、現在の地へ移り、さらに琴平社を合祀して、大綱金刀比羅神社となった。かつて眼下に広がっていた神奈川湊に出入りする船乗り達から深く崇められ、大天狗の伝説でも知られている。また、江戸時代には、神社前の街道両脇に一里塚が置かれていた。この塚は、日本橋より七つ目に当り、土盛の上に樹が植えられた大きなものであった。
古来、飯綱大権現、金刀比羅大権現と称してきたが、明治二年、太政官通達により大綱神社、金刀比羅神社と改称し、さらに明治四十四年、両神社を合祀し大綱金刀比羅神社と改称した。
治承四年 (一一八〇年) 平安時代、源頼朝は伊豆国石橋山の一戦に敗れ安房国へ小舟で逃れようとしたが、逆巻く浪は雪を噴いて渡航することができず如何にせんかと心を砕き、日頃の疲れにうとうとまどろむ中に大権現の神霊現れ『汝思い惑はず目指す安房の国に渡るべし、海上に憂いあらば吾よく守護してその難なからしむべし』と告げ終えるとそのお姿が見えなくなった。頼朝、目覚めて後あまりの不思議に言葉も出なかったが、さしもの浪風も忽ちに治り難なく安房国へ渡り、源家再興を企て後に天下を我がものとした。頼朝は深くこの時の鴻恩に感じ、勝軍飯綱大権現とあがめ奉り、文治年中に青木山上に一宇を建て武運を祈った。又この袖ヶ浦から出船した者は、必ず此所で護摩を修めてから諸国へ出航したものだと言う。


御祭神



御朱印



関連リンク


場所: 神奈川県横浜市神奈川区台町7-34


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