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別名:
旧社格:
創建:
本務社:
満仲公は第五十六代清和天皇の御曽孫多田源氏の祖神である。幼少より文武両道に秀で、国家に貢献されたる偉勲功績は、わが国史に燦然として輝き部門の 棟梁たる勅諚を賜わり国家鎮護の大任を果されたるのみならず、或は沼地を開拓して広大なる田畑を造成し、或は河川を改修して農耕の拡大に寄与し、併せて 源家興隆に確固たる基盤を築かれた。またその威力は関東に及び、特に雑色村の文化向上に尽された事績は尠少ではない仍って時の里人の敬慕浅からぬものがあった。 その第二子は歴史上著名な頼光公であり第四子頼信公は平忠常を討ち、関東を平定した。続いて頼義、義家の父子二公は前九年、後三年の両役に大軍を率いて奥羽の地に 赴きその凱旋の帰途、寛治六年(一〇九二年)祈願達成の報賽として、大宮八幡宮に神鏡を献し、別当宝仙寺を建立すると共に、大宮八幡宮造建の時の八幡宮神供の雑色料の 地である当地に、日頃淑敬する満仲公の祠を建てたところ、雑色村の鎮守社として住民に崇敬せられて来たということが「武蔵名勝図会」に記されている。新編武蔵風土記稿には「多田権現稲荷合社」と記されている。慶長二年社殿を再建。更に江戸後期の文政年間修復を加えた。明治十四年改築しまた明治四十四年にも改築したと社史に記してあるが、太平洋戦争後、氏子の 急増により昭和三十五年社殿を改築したのが現在の社である。
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