2016年9月18日日曜日


吽形

阿行

稲荷神社

子大神社・金比羅神社・白山神社

大黒さま

子像

子像

鳥居

社号標


データ

別名:
旧社格:
創建:
本務社: 新羽杉山神社


由緒

当杉山神社は、足利時代の初期この地武蔵国都筑郡新羽村乾の方高地に鎮座し、我が郷土北新羽を守護する尊神として本年で五百八十八年世の変遷を超え篤い崇敬を受けて来た
時は應永二年五月二日、当地方に大降雹があり農作物形を残す物なく殆んど全滅し、農民悲嘆にくれている時、御師横地監物の夢枕に、雲中より声高らかに我れ大和国三輪の神なり 我れを高所に祀れば災厄免がれ五穀豊穣は疑いなし。と宣われた。村人恐みて相議り同年六月、間口一間、奥行一間半の本殿を風光明媚の高所此の地に建立し、大和国三輪明神の 大己貴命を勧請し、泰栄山正一位杉山大明神と称え、同年九月八日遷宮式を執行し、此の地を美和台と称した。こえて同十五年五月の大降雹には周辺の村々の作物全滅の中に 此の地のみは奇跡的に被災を免がれ得たので氏子一同御神徳と信じ益々大明神を敬うこと篤く、同年八月間口三間、奥行一間半の拝殿を造営し奉った。その後広大な 御神徳に近郷村民の参拝絶えることなく、郷土鎮護と氏子民平安の中心となった。
明治初年、社殿を全焼したが氏子民の崇敬篤く再建を成し、偶々明治四十一年一村一社合併令に際しても南杉山神社と併立を果し、恒例臨時の祭典行事を絶やすことなかった。社殿を増営し、続いて境内の整備を終えた直後の同五十一年四月十六日、不慮の火災により惜しくも社殿を悉く消失し、氏子一同大痛恨事と悲嘆にくれた。猛炎中に奇跡にも難を免れた御神体を仮奉安し、祭典を続けると共に社殿再建を決意した氏子は、偶々当地域の急激な都市化発展による氏子民の繁栄を恃み、不燃構造に近代仕様を加味し永久的社殿の総全を企図し、神社建設委員を発足。幸い全氏子崇敬者より協賛された多額の浄財と献身奉仕を得て着手。委員一同は奈良県の大神神社に参拝し、更ためて御分霊を拝戴。同五十四年九月二十九日、荘厳堅牢な社殿を完成。遷座式を営み、翌三十日大祭を斎行した。続いて翌年社務所を新築、更に末社金比羅社改築を機に北之谷鎮守白山神社を合祀。その境内十五坪の奉納を受け、眞間戸谷鎮守子大神も合祀。同五十五年十月九日遷宮式を営んだ。此の一連の建築造営費は、金五千六百余万円である。当神社の氏子は、昭和中頃までは約六十戸が中心となって護持運営して来たが、現在三百五十余戸の氏子を算えている。
茲に当神社の由緒沿革を略記して後世に録し、併せて先人の労を偲び功を讃えるものである。


御祭神



御朱印



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場所: 神奈川県横浜市港北区新羽町3918


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