別名:
旧社格: 村社
創建: 1380
本務社: 当社
康歴二年三月二十三日(一、三八〇年足利義満の頃)横須賀城主三浦貞宗が横須賀の総鎮守として城の入口であったこの古谷山に長野県から上下両諏訪明神を勧請した。
その頃は城主と城下の村人によって祭られていたが三浦氏が滅んだ後は、その祭祀権地頭・郡代を指導者とする村人達の手に移った。慶長八年徳川家康が将軍になり 平和な世になったので早速慶長十一年二月二十七日代官の長谷川三郎兵衛の発起で社殿や境内の大改修をし(棟札による)以後永く代官の三浦郡中鎮守の逢拝祈願所となり(寛永八年、享和二年の版文による)村人も協力して神社を立派に維持し崇敬を続けた(歴代の棟札文による)明治六年十二月村社に列格、明治四十年四月三十日神饌幣帛料供進神社となり昭和三年五月二十一日郷社に昇格。昭和十七年十月二日神柢院十七神総第二号通牒を以て県社昇格の内許を受け指定工事中終戦となった。
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